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by hibaku-eigasai
| 2007-08-21 16:15
| 6月3日昼の報告と感想
1)映画祭は歓迎され、映像の持つ力を改めて証明した 「被爆者の声をうけつぐ映画祭~被爆者は預言者・人類の宝」は、6月2日から9日までの八日間、市民による自主的な映画祭としてかってない大きさで、12プログラム19作品を連続上映。会場は神田駿河台の明治大学で、八日間で1500名の観客を集めて成功しました。 映画祭は、原爆被爆関連の映画をまとめて上映鑑賞することで、被爆体験の伝承に映画や映像が有効であること。そして、原爆被爆関連の映画を制作し続けてきた日本の映画人の歩みを確かめ、被爆体験同様に継承して行こうとの目的で開催されました。 新聞社などの関心も高く 「被爆者のこえをうけつぐ映画祭」とのユニークなタイトルは、いま全国で闘われている原爆症認定訴訟との関連で注目を集め、記者会見に集ったメディアは11社。映画祭を紹介したメディアは、映画祭事務局がつかんでいるだけで朝日(2回)、読売、東京新聞、赤旗(3回)、朝日子ども新聞、NHKラジオ夕刊(放送)、神奈川新聞、中国新聞などがあり、この映画祭への社会的関心の高さを示しました。 2)観客は映画祭の継続を訴えて 観客は、遠く滋賀や長野、静岡からの参加者がいました。鑑賞後に寄せられた感想文には、「こんな企画を待っていた」「見逃した作品と出会えてよかった」「作品鑑賞に加え、スタッフのお話や被爆者の講演が聞けてよかった」など映画祭を歓迎する声が多く、「来年も続けて欲しい」「継続しての開催を」と書き込んだ感想文が圧倒的多数でした。また、「全国各地でもやって欲しい」との声がいくつかありました。同時期に開催された日本原水爆被害者団体協議会の総会の中でも「東京だけではなく」との声が多かったと聞きます。 「大学での映画祭なのに大学生の参加が少ない・・・」との声も聞こえましたが、「本日で3作品を拝見させていただきました。どれも大変感動的で、考えさせられる映画でした。こういった機会をもうけて下さったことに感謝いたします。」「この映画祭を企画、運営された方々に敬意を表したい。第二回以降もぜひ続けてほしい」などの大学生の感想文には励まされました。それらの中に「就職活動がうまく行かずに、うつ状態になり、もう死んでしまおうかと思っていましたが、映画を観て、つらくとも生きて行かなければと思うようになりました。ありがとうございます。」との感想文もあり「彼のためにもこの映画祭、やってよかったな」との実行委員の声もありました。 被爆体験や反核平和への願いを語り継ぐ上で本映画祭は、過去に制作された原爆被爆映画、たとえ50年前の古い作品であっても有効であることを改めて証明できました。 3)観客動員とチケット販売 映画祭の経費およそ200万円、動員目標は2000名以上でしたが、実績は1500名にとどまりました。映画祭への注目度に比べると、観客動員の面では悔いの残る結果となりました。しかし、幸いなことに50枚、100枚と販売してくれる個人の方が何人もいたことや、賛同する個人や団体からの募金などに支えられて若干の黒字となりました。 ネットを活用しての宣伝にもこころがけました。映画祭のブログへのアクセス数は、3月中旬に開設以来トータルで2000件ほど。映画祭期間中は平均80件前後でした。メールでのチケットの予約販売数は、トータルで45件、80枚ほどでした。 「はたして、こんな辛く悲しい作品ばかりの映画祭、見に来る人がどれだけいるだろうか・・・」との心配が、正直言って実行委員会の中にもありました。そのため、経費を極力節約しての取り組みとなりました。したがって、マージンが発生する“チケット・ピア”などのプレイガイドに頼らず、個人による販売を主としました。しかし、結果的には、関心を持った人々にチケットを届けきれませんでした。今回のような規模の映画祭では、どこでも買い求めやすい民間のプレイガイドの活用を考えるべきだったのかも知れません。 4)会場をめぐる諸問題と歓迎された明大での開催 5月に入って、実行委員会による都内の団体への協力要請行動を3回行いました。しかし、団体でのチケットの取り扱いはむずかしく、「映画祭まで一ヶ月と期間が短いので、団体としては対応できない」との声が多くありました。 3月末日の会場決定から6月2日の開催までの期間が短いことが、大きな団体の参加やチケット販売をむずかしくしました。しかしこれは、明大以外に映画祭を開催できる会場がなく、新学期の開場使用が3月末にならないと明らかにできない事情に寄るものでした。 大都市東京に、最小でも数日間借り切って市民による映画祭を開催できる施設がないことに大きな問題があります。そもそも、明治大学軍縮平和研究所との共催がなければ、今回の映画祭は実現できませんでした。研究所のみなさんと会場を提供してくださった明治大学に、実行委員会は心から感謝しています。 また、市民による実行委員会と明治大学軍縮平和研究所の共催は、主題にふさわしい協力共同と人々の共感と関心を呼びましたし、明治大学内での開催は、被爆者の思いを若い人たちに伝えたいと願う人々に「ふさわしい場所」と、歓迎する声が多くありました。 その一方で、教室での映画鑑賞は天井が低く、「見にくかった」「できればホールで見たかった」などの注文も少なくありませんでした。主たるホールを使用できない日に、やむをえず地下や6階の教室を使用したのですが、映画の鑑賞にふさわしい場所を用意する努力は、映画祭の質を高める上でとても大切な課題だと教えられました。 5)映画祭を支えた熱い力 最初に映画祭の準備を始めたのは、呼びかけ人である池田眞規弁護士と映画の作り手や配給に携わる映画人でした。その多くが本業を抱えながらの参加で、実際に八日間にわたる映画祭をきりもりするには人手が足りず、実行委員会の大きな悩みでした。 ところが、映画祭が近づくにつれて実行委員会の呼びかけに応え「意義ある映画祭だから」と、進んで実行委員会に参加する、あるいはボランティアを申し出る人゙が増えました。 協賛団体である「被爆者の声をうけつぐプロジェクト50」の仲間は、大変積極的に映画祭を支えてくれました。実行委員会に参加していない人でも進んでチケットを販売し、メーリングリストで映画祭を知らせ、さらにいくつものメーリングリストやブログで映画祭が紹介されるきっかけを作ってくれました。 映画祭期間中は、親子映画東京連絡会や世田谷ピース同友会のみなさんが誘い合ってボランティアを買って出て、チラシの折り込みから受付や司会などを担当して映画祭を支えてくださいました。 「被爆者の声をうけつぐ映画祭を成功させるために」、この一致点で集った人々は、映画祭期間中、すばらしいチームワークを発揮しました。観客からは、「運営に携わった方々に感謝します」との感想文がいくつもありました。 この、すばらしい集団の力は「被爆者の声をうけつぐ」との主題によるもので、日本の反核平和の活動を切り拓いてきた被爆者の方々への深い信頼と感謝の反映だと思います。この事実は、今後同様の取り組みをやってみたいと考える全国の方々に、大きな勇気とかぎりない励ましを与えることでしょう。 6)原爆被爆映画は日本が誇る平和の文化遺産 映画祭に取り組む中で、とても大切なことがいくつも明らかになりました。 ひとつは、実行委員会の調査により日本で制作された原爆被爆関連作品が、劇映画、記録映画、アニメーション作品あわせて157本以上もあるという事実です。映画祭の中でこのデータを公表したところ、調査ではつかみきれなかった作品名がいくつか映画祭事務局に寄せられています。さらに、新作の劇映画「夕凪の街」記録映画の「ヒロシマ・ナガサキ」という新しい作品も生まれ、その数は増えています。 この取り組みを通じて、日本映画の中で漫然としていた原爆被爆反核映画の存在(ジャンル)を、きわめて明瞭に示すことができました。引き続きこの調査を継続し、より充実したデータにすることが大切です。 二つめには、映画祭で何人もの方々が述べたことですが、原爆被爆映画、反核平和の映像は日本が世界に誇るべき平和の文化であることです。 三つ目は、観客の感想が雄弁に語っていますが、60年前に作られた作品でもけっして古くなく、被爆の実態と被爆者の思いを今に伝える力をもっているという事実です。 四つ目は、ゆえに、こうした作品に英字幕をつけ、あるいは英語版にふきかえて海外に紹介するならば、国際的な反核平和の運動に大きく貢献する可能性があるという提言です。 7)危機にある平和の文化遺産と課題 一方で、この大切なフィルム資産が危機的状況にあることも明らかになりました。 ひとつは、原爆被爆関連作品に対する大手映画会社の消極的姿勢が、資産の活用の障害となっている事実です。 今井正監督の「純愛物語」(東映)は、フィルムの原版はあっても上映できるプリントがありませんでした。黒澤明監督の「生きものの記録」(東宝)は、黒澤監督特集でないとの理由で貸し出しを断ってきました。 中小独立系プロダクションの作品の中では、制作したプロダクションの倒産や解散、あるいは製作者や著作権者の死亡などで、フィルムの原版がない。制作著作者がだれでどこにいるか判然としない。フィルムの脱色や傷みガひどく進んで、使用に耐えないなどの諸問題が明らかになりました。ビデオプロジェクターが普及するなかで、16ミリ映写機の生産が中止となり、故障しても修理がかなわず、フィルムはあるが上映ができない事態も進んでいます。その一方で、「DVDで上映できる作品はないか?」との声も寄せられました。 フィルム作品のひとつひとつの所在や権利状況を調査し、それをデジタル化し、使用しやすい状態で保管(アーカイブ)し、活用を推進していく課題が急がれます。 この課題は映画祭実行委員会の役割を超えるものですが、こうした事実を鮮明にした点でも、「被爆者の声をうけつぐ映画祭」は大きな成果を挙げたといえます。 8)継続開催と「被爆者の声をうけつぐ映画祭のすすめ(仮称)」 最後に、映画祭で寄せられた感想の圧倒的多数が、映画祭の継続を切望していました。東京のみならず、全国各地での開催希望も少なくありません。こうした願いに、どのようにして応えるべきか。8月1日に開催された実行委員会ではこの声に応え、映画祭の継続(来年の開催)と実行委員会の継続を決定しました。 また、全国各地での開催希望については、今回の東京での経験を盛り込んだパンフレット「被爆者の声をうけつぐ映画祭のすすめ(仮称)」を作成し、そのなかで現在使用可能な反核平和作品を紹介するなどし、映画祭や上映会に勇気を持って取り組める手引きとすることにしました。(以上) ※ 掲載した写真は上から、 ①記者会見、②開会を告げる松平晃さんのトランペット、③講演する山田和夫さん ④解説中の野田耕造さん、⑤司会の金子さん、⑥連帯の挨拶の被団協田中事務局長 ⑦対談する被爆医師肥田舜太郎医師と鎌仲ひとみ監督 ⑧閉会の挨拶の明治軍縮平和研究所代表の福田教授 ⑨「夏の朝」を歌って映画祭を支えた田中ルミ子さん 撮影は、名取カメラマンでした。 #
by hibaku-eigasai
| 2007-08-14 17:30
| 映画祭の報告と感想
映画祭開催の経過をよりくわしく知りたいという方は、本映画祭主催団体のひとつである明治大学軍縮平和研究所が編集発行する季刊誌「軍縮地球市民・8(春)号」がお勧めです。
映画祭事務局の有原誠治監督が開催に至る経過を細かく紹介しています。また、映画評論家の山田和夫氏が、「戦後日本映画が描いた反核平和の願い」との小論を寄せています。 映画祭の結果については同じく「軍縮地球市民・9(夏)号」に、有原誠治監督が「被爆者の声をうけつぐ映画祭を終えて」として、映画祭の成功とそれを支えた人々の活躍。そしてフィルム作品の保全とデジタルアーカイブ化の必要性を語っています。 この雑誌は、バックナンバーがあります。ご希望の方は下記の所までお申し込みください。 http://www.gunsyuku.org/backno.html #
by hibaku-eigasai
| 2007-07-25 10:17
| お知らせ
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by hibaku-eigasai
| 2007-07-24 14:39
| 映画祭の報告と感想
シンガーソングライターで“メロディスト”の田中ルミ子さんは、歌声で映画祭を支えてくださいました。田中さんが高校生のときに作曲した「夏の朝」は、原爆によって突然に家族を失った被爆者の悲しみを、美しいメロディにのせてシミジミと胸に染み入る名曲です。田中さんは、映画祭の初日と最後の日にボランティアで出演。美しい歌声で映画祭を彩って下さいました。また、映画祭期間は連日「夏の朝」は会場に流れ、好評でした。
その田中ルミ子さんのコンサートのご案内です。画像はクリックすると拡大し、読みやすくなります。 「夏の朝」や田中ルミ子さんをもっと知りたい方は、次のホームページへ。 http://www.eva.hi-ho.ne.jp/rumiko/ #
by hibaku-eigasai
| 2007-07-22 23:41
| お知らせ
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